事故 ――のためのメモ


⑴  《事故》が成立するためには、最低、ひとりの被害者とひとり(或は「ひとつ」――というのは「もの」の場合もありうるから)の加害者の存在が必要である。また、当然ながら、《事故》とは全て「不慮の出来事」であり、被害者・加害者に《事故》実現への期待が存在することは許されない。われわれは、あくまでも「たまたま」「結巣的」に被害者或は加害者の立場に立たされるべきなのである。《事故》を装った殺人や自殺は《事故》欺瞞であり、真の《事故》ではない。だが、《事故》が他人事(ひとごと)である限りは、われわれはしばしばそれが実現することを期待するものである。その際、われわれは《事故》を形而上の問題として語ることさえできる(「《事故》とは何か?」「《事故否定》とは何か?」といった類の「《事故》の哲学」!)のだが、さて一旦《事故》が自己の問題になるや、それは形而下の問題へと転落し、時として刑事上の問題にまで発展してしまうのである。
 
⑵  事故は、こわい。(例、「10人のインディアンが食事に出かけた。1人が窒息して9入になった。」
 
⑶  《事故》を社会的に捉えようとするとき、被害者・加害者(ここでは「ヒト」の場合を考えることにする)の他に、どうしても「目撃者」の存在が必要になってくる。もちろん、被害者或は加害者イコール「目撃者」である場合も考えられるが、第三者としての「目撃者」の存在が、社会的に要請されるのである。なぜなら、被害者と加害者の証言(*註)がくいちがう場合(これは頻繁に起こることだ。なにしろ両者の利害は根本的に対立するのだから)、それらを「弁償」法的に止揚し、社会の枠内で穏便に解決するためには、どうしても第三者による「客観的」証言が必要だからだ。「目撃者」は「観客」ではなく「客観」なのである。
 
*註、「証言」が可能となるための条件は次の二点である。
  ①被害者または加害者が正常な言語活動を行なえるヒトであること。そして、
  ②《事故》発生後、必要最小限の発言ができる時間だけ生命を保持していること。

 
⑷  以下にとりあげる事故が発生した日時は六月九日正午、場所は「S通り」(東西の通り)と「P通り」(南北の通り)の交叉点の近く、正確には交叉点の東側約五mの地点、すなわち「B銀行」入口の真前の横断旅道上である。
 
⑸  N新聞六月九日付夕刊には、この《事故》の記事は載っていない。他紙においても同様である。ありふれた事件には二ュース・ヴァリューはないのだから当然である。
 
⑹  首をきりおとされたヒトがくびすじの上にぽっかりあいた薄汚ない穴から間歇的にどす黒い血を吹き出しながら踊っている光景を目のあたりに見たとしたらあたしきっと笑い出すだろうけどそういうのを恐怖にひきつった笑いっていうのかしら、と炎天下の茶畠(それは彼女が昔暮らしていた田舎の美化され再構成されたイメージだ)、の真中で血しぶきをあげながら泥鰌掬いを舞う首のない百姓の姿を思い描いてニヤニヤしながらタバコ屋の角を曲がった途端、記号論少女Kは《事故》の目撃者のひとりとなった。
 
⑺  信号は黄色からまさに赤に変わろうとしている。B銀行から出てきたS・U(♂)はS通りを横断しようとして駆け出す。折しも東側からライトバンに乗って時速約50kmで走ってきたA・S(♂)(彼も急いでP通りを横断しようとしていたのだが)はS・Uに気付いて反射的にブレーキをかけるが間に合わない。S・Uは横断歩道中央付近ではねとばされ、そこから約6m西側のS通りとP通りの交叉点中央付近に落下、首の骨を折って即死する。かくしてS・Uは被害者、A・Sは加害者の位置に至る。
 
⑻  Kが記号論少女を自称していたのは、自分が記号論とは全く無関係な存在であったことに由来する。かつて、彼女は葬式の席で「私は食べる!」と叫び、排泄のたびに「愛してるわ」とつぶやき、授業中に「卵を割ってちょうだい」と言って泣き出したものだが、それらの行為には何らの必然性はなかったのである。
 
⑼  《事故》現場には、犬を連れた散歩老人Wもいた。彼もやはりS・Uと同じ横断歩道を渡ろうとしていたのだが、賢明にも信号が青になるまで待ったために、被害者のような日に会わずに済んだのである。しかし、彼は《事故》を目撃しなかった。彼は盲人だったのである。敢えて言うなら、彼は《事故》を「耳撃」したのであった。
 
⑽  《事故》は、本来は「出来事(イヴェント)」と同義なのだが、どういう訳か「支障(アクシデント)」の意味で用いられることが殆んどである。「すてきな事故が起こった」という表現は本自然に響く。
 
⑾  いまひとりの目撃者は飢餓詩人Mだった。彼が《事故》にでくわしたのは、スーパー・マーケットで買物をし、M書店で本を漁るという日課を終えて、久しぶりに昼食をつくろうと家路を急いでいた時であった。正確に言えば、M書店を出、P通りを渡って、Dデパートの前で(S通りを渡るべく)信号待ちしていたところ、《事故》を目撃したのである。
 
⑿  飢餓詩人Mの証言:そこで車が疾走し人がはじきとばされ僕は叫んでしまいました(叫びにすべての日と夜を載せることは難しいのですが)。色白道路ちやんが初潮になりました。はねられた人は動きません。はねた人は車を降り死体(もう死体扱いしてもいいでしょう)の前に呆然と立っています。やじうまが集まってきます。急救車がきます。パトカーがきます。間もなく犯人と死体はかたづけられます。そうして夕方がゆっくり{ }のようにあたりをつつむと、にんげんどもは家の中で死んだようになって祈りを捧げます。過失と事故と清算。今は長い清算の段階なのでしょうか。わたしは知らないことは他の人には告げません。事故の意味は死者たちの もの、生きてる人間のものではありません。ところで、僕がかかえていたのは、新聞紙につつんだ干物のニシンでした。着物の美人でした。地震でした。ああ、僕の眼は千の黒点に裂けてしまえ!(以下、えんえんと続く)
 
⒀  記号論少女Kの証言:あたしは都会の田園を散歩していました。不意に、かつて見たうちでいちばん美しい放物線が視界に入りました。あたしは思わず簡単な悲鳴をあ紅げました。「マダム、わたしが音もします」と叫んだかどうか、記憶にありません。なにしろ、すべてが許される炎天下でした。雲一つないというのは嘘で、ねじりパン状の雲がぽつんぽつんぽつんと三個、空に浮かんでいましたが非常に犯罪的な蒼空でしたわ!音ですか?そう、あれは交通事故特有の音で、現実音の一種なんでしょうね。悲鳴?まあ、そうですね。飛んでったんです、ヒトが、ねじりドーナツみたいに。きっとあなたの暗いハヤシライスに餌を与えてやるために出かけたのでしょう。……母音?ああ、これのことですか。一ゲッコ欲しいって言わなければあげないわ。ゼノンの矢が刺さって胸が痛くって……。(以下、えんえんと続く)
 
⒁  散歩老人Wは《事故》を目撃していなかった(できなかった)ばかりでなく、証言することもできなかった。彼は盲人であると同時に唖だったのである。これでつんぼ(・・・)だったら文宇通り三重苦の人物なのだが、彼はおん年六十九だった。(註、彼の連れていた犬は目撃した筈であるが、証言はできない。)
 
⒂  自動車(交通)《事故》は一般に次のような構成をなす。すなわち単数もしくは複数の目撃者の前、または横あるいは後ろ(まれに頭上とか下)で、加害者となるべきヒトを含む運動体(以下加害者と記す)が、被害者となるべきヒトおよびそれに付随ずる物体(以下被害者と記す)に対し、被害者の望まざる強さで、被害者の予期せざる方向の運動エネルギーを、加害者自体のもつ運動エネルギーから分け与え、その一次的衝撃もしくは与えられた運動エネルギーおよび被害者自体が持っていた運動エネルギーを消費し尽くすまでに受けた二次的衝撃によって、被害者自体の一部もしくは大部分を破損して生命の維持を一時的に困難にする、あるいはすみやかに冥土に送り出す現象である。(D社版「現代用語事典」より) 《事故》分析でつとに名高いP教授はいみじくも「加害者は常にエネルギーを与える」「高いエネルギー状態は、よき(・・)加害者である。」と表現している。
 
⒃  「加害者」は、もっと異質なエネルギーを目撃者に与える。このエネルギーの受け渡しをもって、《事故》は《事故》同一性を失い、現象としての《事故》から独立性をもった《事故》として歩き始める。
 
⒄  生首だらけの野次馬林で、馬・水瓜・コブラツイストとつぶやきながら。確かに焼けただれたアスファルトに青洟を垂らしてにやりと笑っていた死んでいた。充血した眼。を剥いて昨夜の潰け物は塩辛かったから。でにやりと笑った血染めの歯の間から。勝算なき戦いに遭遇するべく爪という爪を逆立てた。炎天下めくるめく安っぽい青空に浮かぶDデパートのバーゲンセールを誇らしげに知らせるアドバルーンに向けて猛烈な視線を噴出させながら。冥土に向かうベクトルに跨がりあなたは何を見た。機械油のように汚れた血。げっ、これは枕ではなくてさっき買った干物のニシンではないか。鋳物のミシンでした。仕事の自慢でした。味醂でした。ぶうぶうと救急列車の音高く電報の紙はミシガンに沈む。地震は茹でます。事故の意味は坊主が上手に屏風に書いたかいた。ミュンヘンオリンピックの火の粉ははらわたならぬ金メダル。ぬばたまの沼に寝る長いノクターン……(六月九日の夜、喫茶「モルグ」で飢餓詩人Mが突然わめき出した。彼は即興詩の新作のつもりだったが、「モルグ」の客たちには発狂詩人の発作とうけとられた。)
 
⒅  あたしは青臭い草いきれの切通し道で仔猫を拾うわ。道路は強い目射しでちんちんに焼けていて仔描はひどく衰弱している。あたしの掌を死に場所に選ぶなんて許せないけど夏の太陽は青ぶくれの熱病やみで、あたしたちのプネウマを吸い上げる。死ぬならあたしの黒髪に包んで、夜更けにこのあたりで一番大きい樹の根元に埋めてやってもいいけれどまだその段階じやないわ。猫に冥土はあるのかしら。あたしに冥土は必要ないけど。雲がジュラルミンみたいに光っているわ。一皮剥けばジュラの肌。誰の詩だったかしらなんて記憶の赤錆びた水の中からしなびたあたしの履歴をつまみ出そうとするたびに視野の隅でディプロドクスがのたうち回る。あたしの黒いTシャツの下で汗ばんでいる乳首を仔描に含ませてやったらそこからいきなり分泌される毒液で死んでしまうなんてこと無いかしら。無いですね。熱くて痛いだけでした。今でもかすかに掻き傷が残っている。あんまり草いきれが青臭くて息がつまりそうで仔描のことなんかとうの昔に忘れます。雲がジュラルミンみたいに光っていてあたしは白昼の底でひとりぼっちの死を演じる仔描でした。道路がちんちんに焼けてとても熱かったわ。炎天の熱いミルクにあたしは溺れているんだから。熱い。

《事故》のためのメモはここで中断された。引き続きメモがなされるか(あるいは、すでになされたか)は現在のところ判断のしようが無い。複数によってなされた《事故》の再現は、不特定多数によってなされなくてはならない。